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日本のメダル史


1992年バルセロナ大会

やった! 有森銀メダルだ!!

バルセロナ五輪マラソンで2位に入り、観客の声援に応える有森裕子
バルセロナ五輪マラソンで2位に入り、観客の声援に応える有森裕子(共同)

 女子マラソンは終盤のデッドヒートで惜しくもエゴロワ(EUN)に敗れたが、有森裕子(25=リクルート)が2時間32分49秒のタイムで2位に入った。女子陸上選手の銀メダル獲得は同郷・岡山県の先輩、人見絹枝さんの1928年(昭3)八百メートル以来。有森の快挙にJOCから褒賞金200万円のほか、陸連が500万円程度、そしてリクルートでも社長賞などの臨時ボーナスが支給される。有森としては、本の寄付などに使いたい希望だ。2日午後7時から感激の表彰式が行われた。

 コンタクトレンズを落とした右目に、ぼんやりとスタジアムがかすむ。有森は競技場のゲートの100メートルほど手前で3度目のスパートをかけた。しかしエゴロワを離すどころか、逆に逃げられる。5メートル、6メートル……。「あとちょっとなのに金が――」。スタジアムに入って最後の力を振り絞った。だが30メートルの差は縮まらず、エゴロワの姿はかすんだままだった。

 夢だった五輪のメダリストになれた喜びと、あと一歩で金メダルを逃した悔しさが交錯する。「確かにメダルは欲しかったけど、6位に入るのが目標だった」と、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。2時間32分49秒は、1990年(平2)に初めて挑戦して出した初マラソン日本最高より2秒速いだけ。暑さと終盤が急な坂の難コース。女の戦いの厳しさに、記録はどうでもよかった。

 「あのことがあったから、今の私があるんです」。3月下旬、日本中を騒動に巻き込んだ代表選考問題だ。「松野か有森か」をめぐって、テレビのワイドショー番組までが大騒ぎした。「きっと有森を選んで正解だったと、みんなに納得させてやるんだ」。そういう思いでいっぱいだった。そして昨年の世界選手権で山下に負けた悔しさ。「今度は負けたくない」と関係者に話していた。

 ボーナスラッシュの有森だが、性格は堅実だ。この春、ともに教員の両親が岡山市内の自宅を改造し、「有森文庫」を設立した。近所の子供、体の不自由な人たちも気楽に本を見に来られるようにとの願いからだった。

 「裕子がここまで来られたのは、地元や周囲の皆さんの温かい声援のおかげなんです。少しでも恩返しを」と、父茂夫さんは言う。母広子さんは、紙の絵本を手作りする。褒賞金は、この文庫への寄付になるだろう。

 陸上のメダルは1928年アムステルダム五輪八百メートル銀メダルの人見絹枝さん以来、64年ぶりのこと。人見さんも有森と同じ岡山出身だった。そのうえ有森の祖母・寿美子さん(故人)は県立岡山高等女学校(現操山高)で人見さんの1年後輩にあたり、二人とも活発なスポーツウーマンで親しい間柄だったという。「人見さんと同じ銀メダルが取れました」と、今年1月に亡くなった寿美子さんをしのぶように話した。

 「最後まで我慢できなかったのは、金を取るための苦しみが足りなかったから。あれが精いっぱいでした。五輪でメダルを取るのが目標で、もう達成してしまいましたが、探せばいくらでも目標はある」と、有森は言う。

 「もう嫁に行ってくれと言ってるんですが、また記録も狙ってるみたいですしね」と、小出監督は苦笑いした。将来は、故障がちだった自分の体験をもとに、海外などでトレーナーの勉強もしたいという。最後は、教員として母校・就実高校に戻るのが夢だ。身近な目標はもう見つけてある。来年春には、ボストンなど海外賞金大会で、ビッグレース日本女子初制覇を狙うつもりだ。

 (年齢、所属は当時)




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