2004年アテネ大会
野口みずき、悲願の金メダル!

- 左手で1番を示しゴールする金メダルを獲得した野口みずき(撮影・宇治久裕)=2004年08月22日
女子マラソンで、野口みずき(26=グローバリー)が悲願の金メダルを獲得した。27キロ付近で先頭集団から抜け出すと、30キロ過ぎから完全に独走。昨年の世界選手権覇者ヌデレバ(ケニア)に追い上げられたが、2時間26分20秒で優勝した。日本女子では前回シドニー大会の高橋尚子(スカイネットアジア航空)に続く金メダルを獲得。同じ国の連覇は女子マラソンでは史上初の快挙となった。五輪発祥の地で、野口が伝説の最強ランナーになった。
歴史の香り高きパナシナイコ競技場に、ニッポンの野口が飛び込んできた。後続はヌデレバがいた。猛追を受けた。しかし、金メダルへのビクトリーロードは譲らない。日の丸の旗が大きく揺れた。五輪発祥の舞台。野口が笑顔でゴールテープを切った。ついに金メダルをつかんだ。
現地時間午後6時に号砲は鳴らされた。日本のお家芸・女子マラソンは最近3大会で、92、96年と有森裕子が銀、銅、00年には高橋尚子が金メダルで表彰台に上がった。アテネでは3人娘の中で誰の笑顔が咲くのか。前回優勝の高橋でさえ選考会で落選する日本の選手層。気温35度と厳しい条件だが、今回の3人娘への期待は高かった。
序盤は世界記録保持者ラドクリフが引っ張った。昨年4月のロンドンで2時間15分25秒の世界最高記録を樹立。その優勝候補をぴったりマークしたのが野口だった。昨年8月の世界選手権銀メダリスト。5月の中国・昆明の高地合宿では1350キロを走り抜いた。「流れに乗ってスパートしたい」。お守りをパンツに縫い付けて追走した。
10キロ地点でラドクリフを先頭に、野口は4番、土佐が6番、坂本が7番手で通過。15人で形成した先頭集団だった。その中で静かに燃える土佐がいた。松山大陸上部時代の2年先輩で、NTT西日本大阪陸上部で活躍していた村井啓一さんとは、結婚を前提に交際する両親公認の恋人。02年ロンドンで当時日本歴代3位を記録後、右足首の負傷で悩んだ。彼がいなければ、五輪出場はなかった。「粘りのレースがしたい」。アスリートとして、1人の女性として夢に向かって走った。
中間地点では8人による先頭集団だった。1時間14分02秒とペースは速くはない。記録より順位。トップは土佐だが、野口、ラドクリフもいた。32キロまで続く上り坂に、坂本も十分対応した。起伏の激しいコースを考え、事前に米コロラド州で「肺が破裂しそうな、最高の練習をしてきた」。日本の3人娘は表彰台圏内。昨年の東京で高橋に勝ったアレム、世界選手権覇者ヌデレバ、今年のロンドンを制したオカヨもいた。
小さな最強ランナーの誕生だ。パナシナイコ競技場に最初に飛び込んだのは150センチ、40キロの野口だった。全身をはずませる大きなストライド。27キロ付近でスパートをかけた。エチオピアのアレムを突き放すと、ひたすらゴールを目指した。昨年の世界選手権覇者ヌデレバの猛追を受けたが、そのまま逃げ切った。
世界記録保持者のラドクリフを筆頭に強豪がそろっていた。しかし、自信があった。スイスでの直前合宿で、終盤32キロ以降の下りを想定して走り込んだ。疲れ切った体で、坂道を下る練習を繰り返した。練習後は口をきけなくなった。「だれも追いつけない」。自分の力を信じて走った。
ダイナミックなストライド走法は、体への負担が大きい。起伏の激しいコースには不向きといわれた。そのハンディを筋力を徹底強化することで克服した。朝練習で鉄棒や腕立て伏せで上半身を強化した。実業団入りした当時25キロだったベンチプレスの負荷も32・5キロまでアップ。どんなレースにも耐えられる体をつくってアテネに入った。
昨年8月の世界選手権で銀メダルを獲得。本番1年前に五輪代表に内定した。アテネだけを見据えた長期戦略で調整できた。徹底した走り込みに加えて、月1回ペースでロードレースに出場してレース勘を磨いた。ハーフマラソンと30キロで自己新を出した。今年5~6月の中国合宿では34日間で1350キロを走破。レース前からメダル獲得を確信していた。
98年10月、所属していたワコールの藤田監督が解雇された。師を追って野口も退社した。京都市内のハローワークに通い、失業保険をもらいながら走った。仲間5人で生活費を出し合い、共同生活を送った。99年3月にグローバリーに拾われたが、苦労したことで競技への愛着はいっそう強くなり、タフな気持ちも身につけた。
日本女子として4大会連続のメダル獲得。しかも、女子では初めての同一国の連覇という快挙だ。前回女王の高橋尚子不在の五輪でも、マラソン王国の力をあらためて見せつけた。
(年齢、所属は当時)



