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マラソン代表選考


2000年シドニー大会

高橋尚子がラスト切符、弘山晴美は涙

【名古屋国際女子マラソン】大本命の高橋尚子が圧倒的な強さで優勝した
【名古屋国際女子マラソン】 大本命の高橋尚子が圧倒的な強さで優勝した=2000年3月12日

 女子マラソンの選手選考について、激しい議論が沸き起こった大会となった。

 99年8月に行われた世界陸上セビリア大会で21歳の市橋有里(住友VISA)が2時間27分2秒で銀メダルを獲得し、日本人最上位でメダル獲得という基準を満たしたために事実上代表に内定した(正式には同年11月18日の陸連理事会で決定)。残るは2枠。同年11月の東京国際女子では山口衛里(天満屋)が2時間22分12秒の好タイムで優勝。2位がアトランタ五輪の金メダリストのファツマ・ロバ(エチオピア)、3位がバルセロナ五輪金メダルのワレンティナ・エゴロワ(ロシア)、9位に97年世界陸上アテネ大会金メダルの鈴木博美という豪華メンバーでの勝利で、その時点で内定はかなり有望と見られた。

 事実上、残り1枠ので行われた00年1月の大阪国際女子では、トラック競技からマラソンに目標を切り替えた弘山晴美(資生堂)がリディア・シモン(ルーマニア)に2秒遅れの2時間22分56秒で2位に入った。タイムも文句なく有力候補となった。

 だが、3月の名古屋国際女子に大本命の高橋尚子(積水化学)がエントリー。故障で世界陸上セビリア大会を回避し、ギリギリ間に合った高橋だが、山口、弘山のレース内容から、ただ優勝するだけではなく、タイムに裏づけされた強さを示す必要があった。前半はスローペースで流れたが、23キロ付近でスパートをかけた高橋は後続を一気に放し、2時間21分47秒で圧巻の優勝を遂げた。ゴール直後、小出監督に「これで大丈夫ですよね?」と聞いたが、この強さに「内定は確実」の声が上がった。なお、この時の2位は土佐礼子、3位は大南敬美と、後に活躍するランナーが上位を占めていた。

 空前のハイレベルの争いに世論は沸騰。市橋のタイムが3人に比べ極端に悪かったことから、内定を疑問視する声まで上がった。

 陸連が出した結果は弘山落選。選考レースが2位であったことと、市橋を除く3人の中では最もタイムが悪かったことが決定打となった。弘山と2秒差だったシモンがシドニー五輪では銀メダルを獲得しており、自分が出ていれば、という思いは本人にはあっただろう。

 もっとも、市橋はタイムは悪かったとはいえ、酷暑のスペイン・セビリアでのもので、他の3人より遥かに厳しい条件だった。さらに3位シモンに39秒差、4位ロバに62秒差をつけての銀メダルは価値は高く、選ばれて当然の実績と言える。5位アレムはシドニー五輪6位、11位ワンジロはシドニー五輪4位だから、五輪並みの豪華メンバー(高橋不在だが)での2位だったのだ。

 本番では高橋は金メダル、山口は7位だった。代表に疑問の声もあがった市橋は、高橋のスパートに果敢に食らいつき金メダルへの執念を見せたが腹痛もあって失速、15位に終わった。完調であれば、シモンとの比較からもメダルに手が届いた、あるいは展開次第では高橋を脅かす存在となった可能性はあったのではないか。高橋が五輪本番でシモンにつけた差は、わずかに8秒だった。

 この時の代表メンバーが日本の女子マラソン史上最強と呼んでいいかもしれない。

 (年齢、所属は当時)




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