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マラソン代表選考


男子有力選手紹介

佐藤 敦之(さとう・あつし)中国電力

佐藤敦之の顔写真

【出場レース】福岡国際マラソン

 1978年(昭和53年)5月8日、福島県会津若松市生まれ。若松四中1年から陸上を始め、92年に全日本中学大会1500メートルで優勝。会津高では、2年時に高校総体、国体の5000メートルで5位、3年でも高校総体同5位に入った。早大進学後は1年から箱根駅伝に出場、中心選手として活躍した。00年にびわ湖毎日で、初マラソンとしては歴代3位の2時間9分50秒の好タイムで4位に入るとともに、日本学生記録を更新した。03年の世界陸上パリ大会で10位、07年10月、イタリアでハーフマラソンの距離で行われた世界ロードランニング選手権で日本記録を更新して9位に入った。同年7月には女子800メートル日本記録保持者の杉森美保(ナチュリル)と結婚した。07年12月の福岡国際は2時間7分13秒で日本人最高位の3位に入り、北京切符をほぼ手にした。170センチ、55キロ。

油谷 繁(あぶらや・しげる)中国電力

油谷繁の顔写真

【出場レース】福岡国際マラソン

 1977年2月8日(昭和52年)2月8日、山口県長門市生まれ。美祢工で本格的に陸上を始め、3年時に高校総体5000メートルに出場したが予選落ちに終わった。95年に中国電力入社。しばらくは駅伝での活動が中心だったが、99年にマラソンに転向。00年びわ湖毎日で初マラソンに挑戦、2時間10分48秒で7位に入った。01年、03年の世界陸上、04年のアテネ五輪では、いずれも日本人最高の5位に入った。だが、その後は振るわず06年のロンドンは13位、07年の東京では途中棄権。07年12月の福岡国際では30キロ付近で脱落し、2時間10分30秒の5位。「北京の選考会にはもう出ない」と潔く負けを認め、2度目の五輪出場はほぼなくなった。163センチ、51キロ。

藤田 敦史(ふじた・あつし)富士通

藤田敦史の顔写真

【出場レース】福岡国際マラソン

 1976年(昭和51年)11月6日、福島県白河市(旧東村)生まれ。清陵情報高から駒大に進み、4年連続箱根駅伝に出場した。卒業直前の99年、初マラソンとなったびわ湖毎日で瀬古利彦の学生記録を塗り替える2時間10分7秒で2位に入る。同年の世界陸上セビリア大会では6位に入った。00年4月富士通に入社し、その年の福岡国際で2時間6分51秒(当時の日本記録、現在日本歴代2位)で優勝。01年世界陸上エドモントン大会は12位と振るわず、02年東亜国際を制覇したが、その後は故障に苦しみ04年アテネ五輪の選考レースには出場できなかった。05年福岡国際でおよそ3年ぶりにマラソンに参加して3位に入り、再び存在感を示した。07年別府大分毎日で優勝し完全復活を印象付けたが、世界陸上大阪大会代表の座は逃がした。北京五輪代表選考レースとなった07年12月の福岡国際は2時間12分29秒で8位に終わり、北京行きはかなり厳しくなった。166センチ、52キロ。

高岡 寿成(たかおか・としなり)カネボウ

高岡寿成の顔写真

【出場レース】福岡国際マラソン

 1970年(昭和45年)9月24日、京都府木津川市(旧山城町)生まれ。洛南高から龍谷大に進み、93年4月にカネボウ入り。00年シドニー五輪5000メートル15位、1万メートルでは7位に入賞した。02年シカゴマラソンで日本記録の2時間6分16秒で3位。05年の東京国際で初優勝し、同年の世界陸上ヘルシンキ大会で4位。過去7回のマラソン中、6回で2時間10分を切るスピードが売り物。07年長野は2時間15分00秒で7位。マラソン以外に、3000メートル(7分41秒87)1万メートル(27分35秒09)の日本記録を持っている。94、02年にアスリート・オブ・ザ・イヤー・ジャパンを受賞。07年12月の福岡国際では2時間13分40秒で10位に終わった。北京行きは厳しい状況となった。186センチ、64キロ。

尾方 剛(おがた・つよし)中国電力

尾方剛の顔写真

【出場レース】

 1973年(昭和48年)5月11日生まれ、広島県出身。熊野高-山梨学院大を経て中国電力入りした。山梨学院大時代は2年時に箱根駅伝に出場し、10区の区間賞で優勝に貢献した。その後スランプに陥ったが、96年に中国電力に入社してマラソンに力を入れるようになってから復活。02年の全国都道府県対抗男子駅伝では24人抜きの快走で注目された。04年の福岡国際で優勝し、05年世界陸上ヘルシンキ大会で銅メダルを獲得した。猛暑の07年世界陸上大阪大会では2時間17分42秒で5位入賞、日本人選手でトップとなり、五輪代表が有力。07年12月からの北京五輪選考レースには出場しない。自己ベストは03年の福岡国際で出した2時間8分37秒。165センチ、50キロ。

奥谷 亘(おくたに・わたる)SUBARU

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【出場レース】未定

 1975年(昭和50年)1月9日生まれ、兵庫県出身。西脇工-ダイエー-積水化学を経てSUBARUへ。99年東京国際で5位。05年のびわ湖毎日で4位に入り、06年福岡国際では日本人1位の2時間8分49秒で4位と健闘し、世界陸上大阪大会の出場権を得た。しかし、体調不良で無念の出場辞退となった。身上は粘り強さで五輪切符を目指す。181センチ、61キロ。

佐藤 智之(さとう・ともゆき)旭化成

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【出場レース】びわ湖毎日マラソン

 1981年(昭56)1月31日、大分県別府市生まれ。鶴見台中1年から陸上を始め大分東明高卒業後、旭化成に入社し宗茂コーチの指導を受け成長した。03年延岡西日本では初マラソンで優勝。06年、別府大分毎日で2位。07年2月に第1回東京に出場、ダニエル・ジェンガ(ケニア)に続き2位(2時間11分22秒)に入った。07年8月、世界陸上大阪大会は奥谷亘が欠場したため繰り上がりで出場、13位に入った。自己ベストは2時間9分43秒。びわ湖毎日では日本人トップはもちろん、優勝、2時間8分台のタイムが必要だ。167センチ、51キロ。

諏訪 利成(すわ・ともなり)日清食品

諏訪利成の顔写真

【出場レース】東京マラソン

 1977年(昭52)1月29日、群馬県伊勢崎市(旧東村)生まれ。桐生工時代は全く無名だったが、東海大へ進学後、徐々に力をつけ3、4年時は箱根駅伝で花の2区を任された。卒業後は日清食品に入社、白水昭興監督と出会いマラソンへの適性を見いだされる。02年びわ湖毎日で4位。03年12月の福岡国際では2時間7分55秒のタイムで2位に入って04年アテネ五輪代表となり、本番でも2時間13分24秒で6位と健闘した。07年の世界陸上大阪大会で7位。招待選手として走った08年2月の東京では30キロでトップ集団から脱落し、2時間9分16秒の4位。連続五輪出場は絶望的になった。178センチ、58キロ。

大崎 悟史(おおさき・さとし)NTT西日本

大崎悟史の顔写真

【出場レース】びわ湖毎日マラソン

 1976年(昭51)6月4日、大阪府堺市生まれ。市民ランナーの父雅信さんの影響で陸上を始める。清風高時代の1500メートル3分48秒90は今も大阪府記録として残っている。3年時の高校総体では同種目で5位、優勝はダニエル・ジェンガ(ケニア、当時仙台育英)だった。山梨学院大から00年にNTT西日本大阪入社、サラリーマン選手として活動を続ける。00年3月のびわ湖毎日が初マラソンで14位(2時間13分49秒)。アテネ五輪代表選考レースの04年東京国際に出場し、高校総体の1500メートルで顔を合わせたジェンガと優勝を争い2位に入った。サラリーマン選手の大健闘に夢は広がったが、代表には選出されなかった。06年のドーハでのアジア大会では銅メダルを獲得し、07年の世界陸上大阪大会では2時間18分06秒のタイムで6位入賞。自己ベストは2時間8分46秒。びわ湖毎日でも2時間8分台をたたき出し、滑り込みでの代表入りを狙う。177センチ、58キロ。

久保田 満(くぼた・みつる)旭化成

久保田満の顔写真

【出場レース】びわ湖毎日マラソン

 1981年(昭和56年)9月30日、高知県中村市生まれ。高知工では5000メートルで高校総体に出場したが予選を突破できなかった。東洋大に進学し、3年時に旭化成OBの川嶋伸次監督が着任してから力をつける。03、04年の箱根駅伝では駅伝主将としてチームを引っ張り、2年連続の総合6位に貢献した。卒業後、名門の旭化成に入社。06年の北海道で銀メダル。07年のびわ湖毎日で2時間12分50秒を記録し、日本人最上位の6位で世界陸上大阪大会の代表に選出された。07年の世界陸上大阪大会では56位と惨敗、08年3月のびわ湖で巻き返しを狙う。180センチ、63キロ。

藤原 新(ふじわら・あらた)

藤原新の顔写真

【出場レース】東京マラソン

 1981年(昭56)9月12日、長崎県生まれ。長崎・琴海中で陸上を始める。諫早高から拓大に進み、箱根駅伝は1年で1区10位、3年で4区4位。04年にJR東日本入社。会社では総務部総務課所属で、午前9時20分から午後2時まで勤務。その後、練習を行っている。自己ベストは5000メートル13分41秒35、1万メートル28分52秒84、ハーフマラソン1時間2分17秒。2月の東京には一般参加で出場し、2時間8分40秒で日本人トップの2位となった。2度目のマラソンで自己ベストを一気に30分も短縮し、一気に五輪代表争いに名乗りをあげた。日本人選手が2時間10分を切ったのは05年3月のびわ湖毎日マラソンの細川道隆、奥谷亘以来、約3年ぶりだった。家族は父母と姉1人、妹2人、弟1人。167センチ、54キロ。




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