藤原2位、北京へ名乗り/マラソン

- 2位に入った藤原新は、両手を広げ笑顔でゴールする(撮影・浅見桂子)
<東京マラソン>◇17日◇都庁前~東京ビッグサイト(42・195キロ)
日本男子マラソン界に新星が誕生した。2度目のマラソンに挑んだ一般参加の藤原新(26=JR東日本)が、2時間8分40秒で日本人トップの2位に入った。05年3月のびわ湖毎日マラソン以来、約3年ぶりに2時間10分を切る日本人選手が出現。終盤は右足のけいれんでふらつく場面もあったが、自己ベストを一気に約30分も短縮した。北京五輪の代表争いに、無名の男が名乗りを上げた。
あれは誰? 日本陸連関係者ですら、すぐに分からなかった。33キロ付近で先頭集団は3人。唯一残った日本人は無印の藤原だった。終盤の佃大橋で左のマンションから「フジワラ~ッ」という声援が聞こえてくる。「注目されなかったことが逆にモチベーションになった。ああ、オレのこと知ってる人がいるんだと思いました」と振り返った。
2位争いになった38キロ地点で右ふくらはぎがつり、転びそうになった。「最悪、棄権も考えた」という中、頭をフル回転させた。「ストライドを狭めて、ペースを落とせば持つだろうと。淡々とリズムを刻もうと思いました」。作戦が功を奏し、2位を死守。ゴール後は前に倒れ込んだ。五輪の代表候補に急浮上した。
初マラソンの07年びわ湖毎日は、腹痛の上に足のマメをつぶし、2時間38分37秒の85位。その記録を30分も上回り、3年間誕生しなかったサブ10(2時間10分を切る)ランナーの仲間入りを果たした。高校、大学時代に目立った実績はないが、打越コーチは「感覚の鋭い選手。天才肌だと思う。だからといって、努力していないわけではない」と分析する。
今回は元日の全日本実業団駅伝後にマラソン練習に入り、40キロ走と45キロ走は1本ずつ。量が多いわけでないが「短期に集中した方がいい」という性格に適した。インターネットで海外文献を翻訳して競技の参考にし、米ボルダー合宿では自ら海外の選手から情報収集するなど、常識にとらわれない。「いろんな練習を試してみて、何が良くて悪いかが分かってくるようになりました」という姿勢が、26歳になって実を結んだ。
幼稚園時代、元山岳部の父有文(ありふみ)さん(58)のジョギングに付き添った。長ければ6キロにも及んだが、ついていった逸話を持つ。「五輪は子どものころから知っていたし、あこがれみたいなものはありました」と藤原。JRでも買えない「五輪切符」が、グッと近づいた。【佐々木一郎】
[2008年2月18日9時34分 紙面から]
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