野口みずき五輪欠場、肉離れ回復せず

- アテネ五輪で獲得した金メダルをかんで笑顔の野口。連覇はなくなった…
アテネ五輪女子マラソン金メダリストの野口みずき(30=シスメックス)が12日、北京五輪出場を断念した。左太ももの肉離れなどの回復具合が思わしくないため欠場を決断。この日、日本陸連の高野進強化委員長が日本オリンピック委員会(JOC)に出場辞退届を提出し、受理された。7月のスイス合宿中に左足肉離れを発症。4日の帰国後は懸命に治療を続け、出場の可能性を探っていたが回復には至らず、同種目史上初の五輪2連覇の夢をあきらめた。補欠選手の代替手続きは行わず、北京の日本女子マラソン代表は土佐礼子(32)中村友梨香(22)の2人だけとなった。
苦渋の決断だったに違いない。女子マラソン史上初の五輪連覇という野口の夢は、スタートラインに立つ前に無情にも消えた。「今も走りたい、走ろうという思いは消えません。しかし、現状を認識すれば出場を断念せざるを得ません」。文書で発表したコメントに強い悔しさがにじんだ。7月のスイス合宿中に発症した左足肉離れの痛みは、ついに消えなかった。
17日のレースまで期限は迫っていた。この日午前の練習前に、野口と所属先の藤田信之監督(67)が話し合って出走不可能と判断。日本陸連に連絡を入れた。意向を受けた日本陸上選手団の高野監督が「大腿(だいたい)二頭筋の肉離れと半腱様筋(はんけんようきん)の損傷」を理由に、JOCに辞退届を提出した。
7月25日のスイス合宿で左足に不調を訴えた。痛みが引かず予定を3日早めて今月4日に帰国。検査の結果、肉離れが判明した。本番レースまで10日あまり。普通なら走れるはずがない。しかし、野口は「最後まであきらめない」と、点滴、注射を打って練習を再開した。痛みを我慢して、1キロを5分以上かけてゆっくりと走った。しかし、奇跡は起きなかった。
試練を乗り越えて手にした北京五輪切符だった。06年8月に大きな失意を味わった。スイス・サンモリッツのホテルの部屋で転倒し、左の腰を強打。すぐに練習を再開したが、1週間後に左すねも痛めた。連覇を狙うベルリンが目前だった。「大会はあきらめよう」。ホテルの一室で広瀬永和コーチ(43)が切り出した。チームで積み上げた数カ月間が無になる。「すいません」。野口の目から涙がこぼれた。
05年のロンドンも左足の痛みで欠場した。それでも「走った距離は裏切らない」と練習を積んだ。プロ活動の誘いも「練習の邪魔になる」(藤田監督)と断って北京への準備を重ねてきた。そして北京五輪代表選考会を兼ねた昨年の東京国際で圧勝した。長く苦しい道を乗り越えてつかんだ五輪連覇への挑戦権だった。それだけに本人の無念は計り知れなかった。
北京五輪後も10月の世界ハーフマラソン選手権(リオデジャネイロ)代表に決まっていた。その後は2時間19分12秒の日本記録更新に挑戦するプランもあった。藤田監督は「不思議なほど(大きなレースを)外したことがない」と評していた。そのエースの神話が崩壊した。努力を重ねた結果の非情の結末。突きつけられた現実は、あまりにも厳しかった。
[2008年8月13日8時50分 紙面から]
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