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歴史動かした!男子400リレーで銅/陸上

銅メダルを獲得し日の丸を振る朝原(撮影・蔦林史峰)
銅メダルを獲得し日の丸を振る朝原(撮影・蔦林史峰)

<北京五輪:陸上>◇22日◇男子400メートルリレー決勝

 ついにメダルに届いた! 80年ぶりに歴史を動かした。男子400メートルリレーで日本が38秒15で銅メダルに輝いた。トラック種目では1928年アムステルダム五輪女子800メートル銀メダルの人見絹枝以来80年ぶり2度目の表彰台。今季で現役を終えるアンカー朝原宣治(36=大阪ガス)が花道を飾った。1走の塚原直貴(23)、2走の末続慎吾(28)、3走の高平慎士(24)がつないだ魂のバトンで、現役生活最後の夢をつかんだ。

 走った。朝原が。夢へと。9年前に足首を骨折した左足で。36歳の今も衰えを知らない右足で。右腕をちぎれんばかりに振った。左手には、4人の思いが詰まったバトンを握りしめた。愛する家族の声にも背中を押され、胸を突き出した。つんのめるようなフィニッシュ。瞳の先に映ったのは…2人の背中だけだった。

 夢なのか? 確かめたくて、電光掲示板を見上げた。3位の位置に「JAPAN」の5文字が出た。バトンを北京の夜空へ放り上げた。トラックに散っていた仲間たちと抱き合った。泣いた。「鳥の巣」が涙にゆがんだ。日の丸に身をくるんだ。歓喜の“ウイニング・ウオーク”だ。38秒15で駆け抜けた400メートルを戦友たちと1歩1歩、踏みしめるように歩いて回った。

 朝原 最高の舞台で最高に気持ちよかった。夢の中みたい。日本が世界と戦えることを証明できた。

 人見絹枝がアムステルダムで銀の輝きを放ってから、2万9240日。トラック種目では80年ぶりのメダルだ。男子では史上初。1912年に三島弥彦が短距離3種目に挑戦して以来、96年かかってやっと成し遂げた悲願の表彰台だった。

 「朝原さんにメダルを」がチームの合言葉だった。07年世界選手権の決勝直前。ウオームアップを終えた4人は円陣を組んだ。末続が「朝原さんにメダルをあげるぞ!」と叫んだ。アジア記録を出したが、結果は5位。朝原は引退を撤回して、最後の五輪に夢をかけた。1走の最年少塚原は怖いもの知らずの走りで日本を勢いづけた。2走の末続は200メートル予選惨敗の屈辱をぶつけた。3走のムードメーカー高平も髪を振り乱し、3位でバトンを託した。仲間のため、自分のため、朝原は走った。

 朝原 夢のようなというか、漫画のストーリーみたいというか…。最後の五輪で、こんな結果で走れるとはね。こんな興奮や喜び、もう味わえない。

 世界を相手に“仕事”をするのが夢だった。幼いころのあこがれは通訳かツアーコンダクター。「世界を飛び回る仕事がしたい」。夢野台高1年で陸上を始めた2年後の90年、アジアジュニア選手権で訪れた北京が初めての海外だった。走り幅跳びで2位に入り、銀メダルをもらった。「日本との違いがカルチャーショックを受けて、ますます『海外はいいな』と思えた」。あれから18年、スパイクを片手に地球を旅した。ドイツや米国に拠点を置いたこともある。世界を飛び回った末に、原点となった場所で悲願をかなえた。

 完全燃焼した36歳は、もうすぐ1人のパパに戻る。シンクロで92年バルセロナ五輪銅メダルを手にした妻から遅れること16年、やっと肩を並べた。もう思い残すことはない。大仕事を終え、最高の気持ちでトラックを去った。【太田尚樹】

 [2008年8月23日8時37分 紙面から]


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