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コラム


「格付け」キープに必死の4年間

2008年8月21日

 日本のシンクロが、メダルを守った。4月の五輪予選で上回られた中国を逆転した。五輪のメダルが直前の大会の成績と直結していることは、シンクロ界の常識。この日の結果がいかに「常識外れ」だったかは、2人の涙を見れば分かる。

 よく「シンクロは最初から順位が決まっているのでは?」と聞かれる。同じ採点競技でも、体操やフィギュアスケートのように点数に響く決定的なミスは少ない。強豪国には高得点が、そうでない国にはそれなりの点が出る。確かに「だいたい決まっている」と言っても、間違いではない。

 もちろん、採点基準はある。フリールーティンの場合は「完遂度」「同調性」「難易度」で技術点、「構成」「曲想解釈」「演技態度」で芸術点をつける。しかし、どれも基準はあいまいで、結局は審判の主観。1度得た評価を覆すのは難しい。「格付け」は、五輪までに終わっているのだ。

 五輪前に「格付け」されるからこその苦労がある。審判から高い評価を得るために、あらゆる戦略を練る。どの試合に選手を出し、何をアピールするか。芸術性か技術力か、審判が求める「トレンド」を敏感に察知し、応じることも必要。選手の力だけでなく、指導者まで含めた総合力が、メダルの色を決めると言っていい。

 日本は84年のロス五輪から金子-井村体制で戦ってきた。2人の指導力と政治力が、連続メダルを守ってきた。もともとライバルだった2人だが、互いに力を認めていた。だから、井村コーチの中国チーム入りで大騒ぎになった。総合力が問われるシンクロだからこそ、単なる指導者の流出だけでは済まなかった。

 華麗なシンクロだが、プールの中では必死に手足をかいている。それは、競技の特性でもある。「順位が決まっている」といわれるまでが大変。連続メダルの栄光の陰で、日本のシンクロ界全体が必死にもがいてきた。逆転を狙った演技変更というバクチが成功したのも、それまでの長い「もがき」があったからだ。

荻島弘一(おぎしま・ひろかず)

 1960年(昭和35年)東京都生まれ。84年に入社、スポーツ部勤務。五輪、サッカーなどを担当し、96年からデスク。出版社を経て05年から編集委員として現場取材に戻る。




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