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コラム


20年前に先を見ていた男

2008年8月17日

 日本選手団団長は、吉田の手を離そうとしなかった。レスリング女子55キロ級の表彰式。メダルのプレゼンテーターは、国際レスリング連盟(FILA)副会長でもある福田富昭氏だった。前日には団長として前半戦を総括。「ここからが勝負」と話していた矢先の金、銀メダル。しかし、満面の笑みには、それとは別の深い訳もあった。

 日本で初めて女子レスリングに本気で取り組んだのが福田氏だった。元柔道選手をスカウトし、都内の自宅に住まわせたりして、基礎から教え込んだ。「世界では女子もレスリングをやっている。日本も遅れてはいけない」。今から20年以上前のことだ。厳しい早朝トレーニングを取材した後、聞いた言葉が忘れられない。「いずれは女子も五輪種目になるから。その時にメダルがとれるようにね」。まだ、女子柔道さえ正式種目になっていない時代。「何を言っているのだろう」と思った。原稿にも五輪のことは触れなかった。本当に女子が正式種目になって、メダルを量産するなんて…。

 84年ロス五輪の監督として、金2個を含む9個のメダルをとった後だった。日本レスリングの黄金時代に、その先を見ていた。人気のあった女子プロレスと提携し、男子の会場でデモンストレーションもした。85年の国際大会に初めて日本人を派遣し、89年には世界選手権の国別対抗で優勝。あっという間に、日本は女子レスリング強国になった。

 福田氏は「公約」通り、女子の五輪種目採用のために奔走した。97年に日本協会としてFILAに五輪採用を提案。世界大会を日本に招致するなどして、アピールを続けた。そして、01年にアテネ大会からの採用が決まった。日本の金メダル量産につながった福田氏の女子レスリング導入。20年前の種まきが、ようやく収穫時期を迎えた。

荻島弘一(おぎしま・ひろかず)

 1960年(昭和35年)東京都生まれ。84年に入社、スポーツ部勤務。五輪、サッカーなどを担当し、96年からデスク。出版社を経て05年から編集委員として現場取材に戻る。




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