太田歴史を変えた銀メダル/フェンシング

- 男子フルーレ決勝 クライブリンク(左)を攻める太田(撮影・蔦林史峰)
<北京五輪:フェンシング>◇13日◇男子フルーレ個人
“ニート剣士”が大仕事をやってのけた! フェンシングの男子フルーレで世界ランク10位の太田雄貴(22=京都ク)が、歴史的な銀メダルを獲得した。準決勝で同7位のサンツォ(イタリア)に15-14で劇勝。決勝では過去5戦全敗で同6位のクライブリンク(ドイツ)に9-15で敗れたが、日本にフェンシング界史上初のメダルをもたらした。競技を始めた8歳から12年間、4300日以上も休まずに練習した根性の男。今春の同大卒業後も就職せず、剣一筋に打ち込んできたサムライが世界を驚かせた。
8歳から握りしめてきた剣が、イタリア剣士の左胸とメダルをとらえた。準決勝14-14、最後の一撃を争う極限の戦い。無職の男がメダリストに転身した瞬間だった。マスクを脱いだ太田の白い歯と赤いほおが、スポットライトに照らされる。「小さい時からの夢だった」。剣を天に掲げて喜びを爆発させた。
力を使い果たし、続く決勝では過去5戦全敗のクライブリンクに9-15と敗れた。金メダルこそならなかったが、日本フェンシング界に史上初のメダルをもたらした。準々決勝では世界ランク1位のヨピッヒを破る金星も挙げた。「率直に喜んでいいと思う。自分のパフォーマンスはできた」と胸を張った。
取り囲む報道陣に「『就職先募集中』と書いておいてください」とアピールも忘れなかった。今年3月の同大卒業後、就職も進学もしなかった。人生のすべてを剣にささげてきた。マイナー競技にスポンサーはつかない。「フェンシングでは食っていけない」。それでも一般企業に入社して“兼業”でやるという選択肢を、競技に専念するためあきらめた。
07年2月から日本協会が都内で始めた「500日合宿」に参加して衣食住は保証されていたが、収入はゼロ。遊ぶカネも時間もなかった。社会人として働く友人たちに「まるでニートやな」と言われながら、毎日午前9時から午後9時まで練習に明け暮れた。故郷大津を離れて初めての1人暮らし。うどんをすすりながら、ホームシックなりかけたこともあった。
8歳だった94年5月、元選手の父義昭さん(55)から「スーパーファミコンを買ってやるから」と誘われて剣を握った。以後は毎日が練習。修学旅行も剣と一緒だった。04年5月に左足首の靱帯(じんたい)を断裂した時も、自宅の床に座って義昭さんと剣を交えた。教員の父に遠征費200万円を出してもらって出場権を得たアテネ五輪は9位。悔いだけが残った。
その後は国内大会でも負けが続くスランプに陥った。「もう(競技を)やめたい」と先輩に相談。06年3月に競技を始めて以来4300日以上も無休で続けてきた練習を初めて休んだ。12年ぶりに剣を握らない1日を過ごし、自分を見つめ直した。再び心が燃え上がった。
「フェンシングをメジャーにしたい」という思いを胸に剣の道を歩んできた若きサムライ。色は銀でも“最高のギフト”を日本に持ち帰る。【太田尚樹】
[2008年8月14日8時32分 紙面から]
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