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内柴史上4人目連覇&北京金1号/柔道

男子66キロ級で金メダルを獲得した内柴はスタンドに向かいガッツポーズ
男子66キロ級で金メダルを獲得した内柴はスタンドに向かいガッツポーズ

<北京五輪:柔道>◇10日◇男子66キロ級

 柔道男子66キロ級の内柴正人(30=旭化成)が五輪2連覇を達成し、今大会日本勢初の金メダルを獲得した。世界選手権2度優勝のミレスマイリ(イラン)を3回戦で破って勢いに乗り、決勝ではダルベレ(フランス)に縦四方固めで1本勝ち。30歳2カ月で日本柔道最年長の金メダリストになった。アテネ五輪後の不振を家族力で乗り越えた男が、会場のあかり夫人(28)と長男輝(ひかる)くん(4)に「強いパパ」の姿を見せた。

 「輝、輝、輝!」。試合後、内柴は観客席に座る長男の名を力の限り叫んだ。喜びを一番最初に伝えたかった。日本柔道最年長金メダルでの2連覇は、今大会日本勢金メダル第1号のおまけつき。「勝つって思ってた。勝とうとずっと思ってた。ただうれしい。夢じゃないかって」。感動をかみしめるように言った。

 決勝はスマートではなかったが、勝負強い男を象徴する試合だった。ダルベレを寝技に引き込み、体を入れ替えると縦四方固めで抑え込んだ。相手の「参った」にも「何で勝ったか分からない。家でビデオで確認したい。腕もきめたけど、相手は首を押さえてたし」とキョトンとした表情を浮かべた。

 3回戦で強敵ミレスマイリからともえ投げで有効を奪うなど、終始ペースを握り優勢勝ち。4回戦のシャリポフ戦は残り1秒、合わせ技で逆転の1本勝ちだった。「今まで勝てない時間があったから、いつ良い流れが切れるか不安だった」。そんな言葉とは裏腹に、世界一にふさわしい最高の内容だった。

 原動力は家族だった。アテネ五輪翌年の05年カイロ世界選手権で銀メダルを獲得した。しかし、その後、左ひじを手術した影響もあり、不振に陥った。07年世界選手権は代表落ち。もがき苦しんだ。同12月の嘉納杯東京国際で2回戦負けを喫した直後「試合場を下りた時に観客席にいた息子と目が合いました。寂しそうな目をしていた。お父さんがこんなことじゃダメだと思った」。この時に感じた強い思いが、4月の全日本選抜体重別優勝、そして代表選出をもたらした。

 帝京大柔道部OGのあかり夫人の支えもあった。「柔道選手は先が見えない。何かあったときのために手に職をつけたい」と06年から柔道整復師の専門学校に通い、来年3月にも資格を取得できるという。内柴の「将来、町道場を東京か熊本に開きたい。妻が柔道整復師、僕が指導者ならいいですよね」という夢へ、まさに二人三脚で歩みを進めている。

 「アテネ五輪の時は妻が子供を出産したばかりで会場に来られなかった。この4年、何度もやめようと思ったけど、家事や学校に通う妻、子供を北京に連れてきたかった」。まさに家族力で戦い抜いた苦闘の4年間。「大幅な夏休みを取って柔道家としての生き方をどうするか考えたい。家族と旅行に行きたいですね」。そう話す男の顔は、2連覇を成し遂げた偉大な柔道家から、パパの顔に戻っていた。【菅家大輔】

 [2008年8月11日9時12分 紙面から]


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