上野五輪連覇、家族にささげる金/柔道

- 金メダルの上野雅恵は両手でガッツポーズ。右は日蔭監督
<北京五輪:柔道>◇13日◇女子70キロ級
柔道女子70キロ級の上野雅恵(29=三井住友海上)が、5試合中4試合で1本勝ちという強さで、五輪2連覇を成し遂げた。1回戦から安定感あふれる戦いで勝ち進み、決勝はエルナンデス(キューバ)にわずか46秒、朽ち木倒しで1本勝ち。48キロ級の谷亮子、63キロ級谷本歩実に続く日本人女子3人目の五輪連覇は、2人の妹、次女順恵(25)三女巴恵(18)にささげる快挙だった。
わずか46秒。上野が「秒殺」で2連覇を達成した。小外刈りから狙い澄ました朽ち木倒し。エルナンデスの背中は、鮮やかに畳に落ちていった。「勝ったんだ、やっと終わったんだと思った」。女子代表の日蔭監督に促され、はにかむように観客席に手を振る姿が、感情を表に出さない上野らしかった。
強さは抜きんでていた。「2回戦までは下がっていて、前に出ろと言われたのでそれを意識した」。準決勝の05年世界女王ボス戦は、闘志をみなぎらせ前へ前へ。残り20秒を切ったところで体落としを決めて技ありを奪い、この日最大のヤマ場を乗り切った。
「柔道の上野3姉妹」の長女。妹2人への思いが体を突き動かした。4月6日の五輪代表発表、上野は代表に決まったのに泣いた。「妹が…」。63キロ級の次女順恵が、最終選考の大会に優勝しながら落選したからだ。「順恵は本当に悔しかったと思う。頑張らなきゃと思った」。妹の無念をパワーに変えた。
所属の柳沢監督も「原動力は妹2人の存在だと思う」と言い切る。今回は順恵と、同じ70キロ級の巴恵が練習相手として帯同。「ずっとついてくれて心強かった」。12年ロンドン五輪では自身の後継者、三女巴恵のサポートも考えている。この日の金メダルは妹2人の今後へのエールでもあった。
アテネ五輪後は決して順風満帆ではなかった。3連覇に臨んだ05年世界選手権で敗退。「引退しようと思って、福祉関係の専門学校も見学に行った」こともあった。復調してきた06年12月には試合中に左ひじ内側側副靱帯(じんたい)損傷の重傷を負い、07年世界選手権代表からも落選した。柳沢監督が「生きているか死んでいるか分からない状況だった」と振り返る最悪の状態に陥った。
だが「北京五輪までは何があってもやる」と、自分を奮い立たせ、信念を貫いた。これまでは主要選手だけをビデオ分析したが、今回は出場する21選手全員を研究。得意技や特徴を記した表を作った。北京五輪にすべてをかけた証しだ。
99年の世界選手権代表に選ばれてから9年間、身体能力で勝る欧州勢の壁が高いこの階級で、日本の、そして世界のトップを張り続けた。「北京のためにやると決めて、4年間つらいこともあったけど、ここで報われたと思う。やりきった感がある。今は充実感でいっぱいです」。2連覇を果たした女王は、そのバトンをロンドン五輪を目指す妹2人に託す。【菅家大輔】
[2008年8月14日9時1分 紙面から]
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