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四川大地震で何かが変わったのか

2008年6月08日

 5月12日に中国・四川省でM8の大地震が発生した。米国の観測所はM7.9と発表したが、中国当局が後日M8と訂正した。10万人にも及ぼうという死亡者や1000万人以上の被災者に心から哀悼とお見舞いの言葉を申し上げたい。

 現地入りしたテレビ局ががれきに埋もれ動けなくなった男性のために電話を貸し、妻に電話をしたその男性は「君と会えて良かった」と話し、その後、絶命したシーンは日本でも大きく報じられた。また、国営新華社通信が配信した記事には、倒壊し建物の中で母親が四つんばいの格好で赤ん坊を守ったまま絶命。手にした携帯電話には「赤ちゃん、もし生き伸びてくれているのなら、私があなたを愛していたことを絶対忘れないで…」というメッセージが残っていた、というものがあった。こんな話を見たり聞いたりしたら、普通の人間は涙腺が緩んでしまうだろうし、「何とか助けられなかったのか」と世の不条理さを思うことだろう。それは私とて同じだ。

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 だが、大地震の深刻な被害と被災者を思い遣ることや、復旧のために惜しみない援助をすることと、北京五輪が抱えている様々な問題に目を配ることは全く別次元の問題である。にもかかわらず、わが国ではその両者が混同され、いつの間にかチベット問題やダルフール問題をはじめとする北京五輪の暗い影への言及が見られなくなってしまったのは残念と言うしかない。

 地震の直後、カンヌ映画祭で女優のシャロン・ストーンがチベット問題と地震を結びつけ、「報いだ」と言ったと中国で報じられ、メディアやネットからの攻撃に晒(さら)されている。30の中国メディアが「シャロン・ストーンを永久に排除する」と非難声明を出し、上海映画祭実行委員会もこれに続いた。
 発言の一部だけを意図的に取り上げた報道が原因とはいえ、罪のない一般人の命を軽んじる発言はいかなる形でも許されない。だが、その後の中国の対応を見ると、地震や反中国の人々の心ない発言に苦しむ被害者の立場にわが身を置くことで、チベット問題の加害者としての立場を希薄にしようという、有り体に申せば、政治利用しているようないやらしさを感じているのは私だけではないと思う。

 北京五輪が本当にスポーツの祭典なら、まずスポーツの価値を何よりも優先すべきであり、スポーツの価値を裏付ける、人道主義、人権という概念が何よりも優先されなければならない。そのような環境が整って、初めて <スポーツの神> が降臨する祝祭空間が可能となるのである。

 地震が起きてから日本ですっかり報道されなくなったチベット問題の動向は、欧米では克明に報道されていた。5月にダライ・ラマ法王は欧州各国を歴訪し、5月19日にはドイツ、ベルリンのブランデンブルグ門広場で歴史的な演説を行った。演説はテレビで生中継された。
 「ここに多くのチベット国旗が林立しています。しかし、この運動は反中国運動ではありません。私が1949年に初めて毛沢東主席と会ったとき『チベットの旗を大事にしなさい』と言われました。それと同じように私たちは五星紅旗を尊重しています」。
 ダライ・ラマ法王は演説の最後に、2万5000人の大観衆の前でこう述べた。平和的な姿勢を貫き、中国政府との対話を求め続けるダライ・ラマ法王にここまで言い切られては、中国政府は逆に対応に苦慮するだろう。

 ブランデンブルグ門広場はチベットの雪山獅子旗で埋め尽くされ、ダライ・ラマ法王が登場したときにチベット国旗を彩る赤、青、黄の無数の風船が一斉に空に放たれた。
 ドイツを後にしたダライ・ラマ法王は英国に飛び、5月22日にはロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール前で1000人の聴衆に語りかけ、チャールズ皇太子にクラレンス宮に招かれ歓談し、23日にはブラウン首相と会談を行った。

 こうした動きが多くの日本国民にあまり伝わっていない。日本のメディアが論理よりも感情に流れがちなのは今に始まったことではないし、メディアも民間企業である以上、需要があるニュースを中心に配信しなければならない事情があるのは仕方のないことだろう。だが、「自由」や「人権」「民族自決」といった普遍的な価値観に対する侵害に関してもっと批判的であってほしいと思うし、単なる欧米崇拝のように聞こえてしまうかもしれないので気が引けるが、欧米のメディアがチベット問題について地震の前後も変わらない姿勢を取っていることの意味を考えてほしい。

 メディアのこうした状況に対して、われわれができることは声を上げ続けるしかないのだが、特に思うのは様々な圧力にもめげずに人権擁護を訴えてきた人たちに今こそ、声をあげてほしいということだ。福島瑞穂さん、辻元清美さん、土井たか子さん、菅直人さん、政治家ではないが大江健三郎さん、その他、草の根で人権擁護を訴えてきた人たちにチベットの人権状況の改善のために動いてほしい。そうした人たちから、これまでに、これといった声が出てこないのが残念でならない。メディアを通じて彼らにこそ先頭に立ってほしい。まさか彼らの言う人権擁護は、中国や朝鮮半島出身者と、特定の考えを持った日本人に限る、というわけではないだろうから。

 世界からの反発に対して、中国国内では激しい排外主義と偏狭な愛国心だけが膨張する中で、北京五輪は目前に迫っている。しかも、東トルキスタン独立運動の活動家が正式に「ジハード」を宣言、新疆ウイグル自治区からの中国人退去を求めている。これはテロ攻撃の予告に他ならない。スポーツの価値をスポーツが支えるという五輪の存在理由(レゾン・デートル)そのものの成立が、もはや難しくなってきている。

 それは、五輪をあまりに政治利用しようとした中国政府への、<スポーツの神> からの報いだと言ったら言い過ぎだと謗られるであろうか?

※写真は中国・四川大地震から1週間がたち、地震発生時刻に合わせ黙とうする日本の国際緊急援助隊(手前)(共同)

西村幸祐(にしむら・こうゆう)

 作家・ジャーナリスト・戦略情報研究所客員研究員。
 1952年(昭27)東京生まれ。慶応義塾大文学部哲学科中退。在学中に第6次『三田文学』の編集を担当、80年代後半から主にスポーツをテーマに作家、ジャーナリストとしての活動を開始した。93年のW杯予選からサッカーの取材も開始。02年W杯日韓大会取材後は、拉致問題、歴史問題、メディア批評などスポーツ以外の分野にも活動を広げている。「撃論ムック」編集長、文芸オピニオン誌「表現者」編集委員。著書は『ホンダ・イン・ザ・レース』(93年・講談社)、『反日の構造』、『反日の超克』(PHP研究所)など多数。ホームページは900万PVを突破した。
http://nishimura-voice.seesaa.net/




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