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柔道の金メダルに感じた昭和の薫(かお)り

2008年8月14日

 柔道男子66キロ級の内柴正人が見事金メダルを獲得した。アテネに続いての連覇だが、その道程は決して平坦ではなかった。むしろ、内柴の北京への道は何度か閉ざされていたのだ。アテネの金メダル獲得でモチベーションが上らず、国内大会でも勝てなくなる。

 内柴は「窓際の会社員みたいになった」と述懐したが、精神面の崩れから不振のどん底を味わうことになる。
 「パパはチャンピオンなのにどうして勝てないの?」と4歳の息子に言われたことが、内柴の北京への道を再び開くことになった。決勝でも内柴は果敢に攻め立てた。背中を落としたとき一瞬ヒヤッとしたが、内柴は縦四方固めでダルベレ(フランス)の「参った」を呼び込んだ。変幻自在の技をかけ続ける内柴の本領が発揮されたのだが、あくまでも技をかけて1本を取るという柔道の原点に内柴が忠実だったからだ。

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 「家族みんなでつかんだこの金メダル、一番高いところに立ったお父さんの姿を、ぜひ、忘れないでください」
 実況を担当していたフジテレビの長坂哲夫アナウンサーはこう言った。家族を背負って戦った内柴の姿は、そのまま日本のサラリーマン戦士を髣髴(ほうふつ)とさせる。そして、その家族が「私」を超えて社会と接点を持ったとき、「私」を超えた「公」という概念が見えてくる。人は自分のためだけ生きられない、という簡単な真理を日ごろ日本人は忘れているようだ。家族のために、そして公のためにという目標がなくて、どうして人は生きることができるのであろうか?

 1996年のアトランタ五輪の頃から「五輪を楽しんできます」という言葉が選手団の間で流行語になり始めた。競技後も「楽しめました」というコメントが定番の1つになっている。スポーツ医学やスポーツ心理学から見ても、過度の緊張がかえって身体能力を鈍らせると言われている。メンタルトレーニングがアスリートにとって重要なのも当然のことだ。過剰なストレスが運動能力を十分に発揮させられないのなら、「楽しんで」競技に臨むことは必要である。
 しかし、緊張や使命感がアスリートの身体能力を研ぎ澄ますことも事実である。メンタルトレーニングは難しいその2つのバランスを取ることに重点を置いている。リラックスして冷静な感情で競技に臨みながら、緊張感で五感を研ぎ澄ます。そんな難しい二律背反を成立させたとき、アスリートは勝利するものだ。「楽しんで」競技することが、ただ漫然と競技を「たのしむ」ことと違うのは言うまでもない。
 五輪の雰囲気を、あるいはサッカーW杯の雰囲気を観客のように楽しむのと、わけが違うのだ。

 ところが、それを混同したような選手やリポーターが最近増えてきたような気がする。一流アスリートが「楽しんで」勝利することと、予選落ちしても「雰囲気を楽しめました」という選手とでは、「楽しむ」という言葉の次元が全く異なったところにある。それこそ、その選手のレベルの差以上の、天と地ほどの乖離(かいり)がある。
 恐らくそんな勘違いを生んだ原因は、精神力や「根性」を必要以上に忌避する風潮が昭和の終わりとともに蔓延してきたからではないだろうか。
 東京五輪の女子バレーボールで金メダルに輝いた「東洋の魔女」の河西昌枝主将が、金メダルを獲得して「今、何が一番したいですか」と記者に聞かれると「父の墓参に…」と言ったきり言葉が続かなかったというエピソードに象徴される「根性物語」を過剰に貶めることに繋がっているようだ。

 8月12日、柔道・女子63キロ級決勝。日本の谷本歩実は、フランスのリュシ・ドコスに内またで1本勝ちし、内柴に続き五輪連覇を達成した。
「すごくうれしい。うれしいの言葉に尽きる。たくさんの人に支えてもらった。けがをしてそのありがたみが分かった。私1人の力だけではない。(全試合1本勝ちに)ずっと1本柔道を教えてもらったので、貫いた。これから柔道をする子供たちにも、1本を取る柔道をしてもらいたいのでよかった」
 谷本は試合後、そう語った。

 そして8月13日、柔道女子70キロ級決勝で、上野雅恵は激しい組み手争いでスタートした試合に、わずか46秒で決着をつけた。一気の朽ち木倒しで、1本勝ちで金メダルを決めた。上野も連覇を達成したが、けがや不調を乗り越えた勝利だった。試合後、上野はこう言った。
 「本当に色々な人に支えてもらってここまで来られたので、私だけのものでなく支えてくれた皆の金メダルだと思います」。
 表彰式で上野ははにかんだ笑顔を見せた。柔道会場ではアテネ五輪に続き、君が代の演奏に合わせて日本人の観客が合唱をした。アテネ五輪の中継ではいっさい言及がなかったのだが、長坂哲夫アナウンサーはそれをきちんと伝えてくれた。

 日本の戦後の復興を支えてきたのは「根性」とか「努力」などという言葉に代表されるように、目標に向かってがむしゃらに突き進む日本人の精神的風土にあったことは、よく言われることだ。高度成長期を過ぎ、バブル経済を経験し社会が成熟するにつれ、そうした言葉は廃れ、代わって「ゆとり」とか「個性」などといった類の言葉がもてはやされるようになる。前出の「オリンピックを楽しむ」という発言が増えたのはそうした文化的背景と無縁ではないだろう。

 柔道の金メダリスト3人は、いずれもアテネ五輪後に挫折を経験し、それを家族や周囲の人に支えられながら克服し、再び頂点を極めた。そんな浪花節的ストーリーに“昭和の薫り”を感じるのは私だけではないだろう。

 また、1本勝ちにこだわって勝ち進んだ日本人選手たちは、日本の武道、柔道がポイント制に重きを置くJUDOというスポーツに変質してしまった今、逆に何がグローバリゼーションの波の中で大切なのかを教えてくれたようだ。
 国際社会における日本の存在感の低下が叫ばれ、日本経済は成長力を失い、家族制度の崩壊や治安の悪化など日本社会の変質も問題視されている。様々な意味で自信を失いつつあるわれわれ日本人にとって、今、何が必要なのかを認識させてくれた、柔道の金メダルだった。

※写真は金メダルを獲得しスタンドの家族に向かい叫ぶ内柴(共同)

西村幸祐(にしむら・こうゆう)

 作家・ジャーナリスト・戦略情報研究所客員研究員。
 1952年(昭27)東京生まれ。慶応義塾大文学部哲学科中退。在学中に第6次『三田文学』の編集を担当、80年代後半から主にスポーツをテーマに作家、ジャーナリストとしての活動を開始した。93年のW杯予選からサッカーの取材も開始。02年W杯日韓大会取材後は、拉致問題、歴史問題、メディア批評などスポーツ以外の分野にも活動を広げている。「撃論ムック」編集長、文芸オピニオン誌「表現者」編集委員。著書は『ホンダ・イン・ザ・レース』(93年・講談社)、『反日の構造』、『反日の超克』(PHP研究所)など多数。ホームページは900万PVを突破した。
http://nishimura-voice.seesaa.net/




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