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劉翔の棄権で見えた日本と中国の文化の差異

2008年8月23日

 北京五輪は24日にその幕を閉じる。開会式こそ他国選手(特に日本)へのブーイングがなかったが、会期が進むにつれて観客のマナーが問題視されてきた。いや、正確に言えばこれはマナーの問題ではなく文化の問題なのだ。中国対日本の試合で日本にブーイングが出るのは仕方がないし、サッカーではむしろ世界基準で当然のことと言ってもいい。しかし、他国対日本の試合で、中国人観客から日本のプレーに対してブーイングが沸き起こるようになっている。

 英国のフィナンシャルタイムズ紙が「共産党支配の現実と五輪前の約束の矛盾が露呈するのに1週間もかからなかった」と8月15日に報じているが、そんなことは大会前から分かりきっていたことだった。開会式で56人の子供たちが各民族衣装を着て入場するシーンで、ほとんどが漢民族であったというブラックジョークのような「偽装」もあった。例の「口パク少女」も国益を考えての演出で当然のことと北京五輪当局は悪びれなかった。
 しかし、海外メディアで批判されるようになると、さすがにまずいと思ったのか、今度は「口パク少女」の報道を禁じてしまったのだ。

 8月18日、男子110メール障害1次予選で大事件が起きた。アテネ五輪の金メダリスト、劉翔が他選手のフライングの後、自らスタート地点から去り棄権したのだ。劉翔は中国人にとって今大会の最大の英雄だった。北島を「日本の劉翔」として中国メディアは報道していたくらいだ。西洋人の得意種目で世界の頂点に立つアジア人という意味でそのように形容されていたのだが、その中心はあくまでも「わが中華民族」でなければならないという意識が根底にある。

 さて、そんな期待の星、21世紀の中華人民共和国の星であり、「中華民族」というフィクションの中心的役割を果たすべき存在であった劉翔が棄権したのである。これは中国人にとって大事件となった。ネットには劉翔を誹謗中傷する罵詈雑言が書き連ねられた。

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 「金儲けばっかりして、練習を全然していないから、勝つ自信がなかったのよ。メダルがとれないと、格好がつかないから、戦う前に逃げたんだ!」
 「広告ばっかりかせいで、本業は廃業か? 体操の某みたいに、金メダルの宴会料理でふとりすぎたんじゃないの?」
 「さっさとけがのことを公開しなかったせいで、多くの広告主が泣かされたんだ。やっぱり、ただの“ごうつくばり”だよ」
 「どうして広告に出るときは、けがしていないの? 説明してよ!」
 「観衆にむかって、あやまることもせずに、退場するなんて!」
 「ケガがそんなにひどいなら、どうして彼を五輪に出した。このような安芝居は、国民が愚弄され、騙されたような気がする。テレビ画面は世界数十億人がみているのだぞ。彼に対する組織管理はどうなっていたんだ?劉翔のけがが仮病だとは疑わないし、ケガをおして競技に参加しろとも思わないが、こうした棄権の仕方はひっじょうに遺憾だ!」

 20日になって共産党機関紙である人民日報が慌てて「劉翔も人間である。怪我をすることもあるので温かく見守るべきだ」という論評を掲載した。つまり、このような論評で国民を誘導しなければならないほど、劉翔への個人攻撃が激烈を極めているということである。

 そして、同日早朝に行われた女子マラソンで日本の土佐礼子が右足負傷の影響で25キロ付近で途中棄権した。土佐は救急車で北京市内の病院に搬送されたのだが、エースの野口みずきも怪我で欠場した日本女子マラソンチームにとって大きなダメージとなった。
 しかし、土佐礼子や野口みずきに向けられた日本のネット世論の声は、大方が選手をかばうもので、叱声はむしろコーチ陣や日本陸連に向けられたものだった。

 「水に落ちた犬を叩け」という諺が中国と朝鮮半島にある。これは魯迅が言ったと伝えられているが、中国大陸と朝鮮半島の儒教文化圏と、日本列島に花開いた日本文化は全く相容れない異質なものであることを象徴的に表す言葉だ。「死ねばみんな神様になる」という言葉に代表される日本式の精神的風土とは全く相容れない。

 中国人アスリートの劉翔と日本人アスリートの土佐礼子。もちろん、2人の過去の記録や五輪への各国民の期待度は異なっているが、国の代表として五輪に臨む選手が棄権したという点に於いて同じである。にもかかわらず、これだけ国民の反応が違うことを見て、あらためてわが国と中国の文化の異質性を再確認せざるを得ない。

 文化の違いであれば、それはそれで仕方がない部分はあるのだが、中国式あるいは朝鮮半島式と言ってもいい文化的風土の国では、スポーツをスポーツとして評価し、スポーツの価値観を尊重するという文化は育ちようがないのではないかと残念に思う。五輪がいかに政治性を帯びるようになっても、「スポーツマンシップ」は失ってはならない五輪を貫く根本理念だ。

 アテネ五輪の体操男子団体決勝、日本の冨田洋之が見事な鉄棒の演技を行った時、それは「栄光への懸け橋だ」の名実況で有名になったが、金メダルを争っていた米国の選手は得点が出る前に冨田の演技に対して拍手を送り、その姿は全世界に放送された。それは「勝者を称える」もしくは「素晴らしいプレーには敵味方なく賞賛する」という理念の発露であったのかもしれないし「良き敗者たれ」という信念に基づく行動であったのかもしれない。いずれにせよ、非常に感動的なシーンであったし、冨田の演技とともに賞賛されるべきスポーツマンシップであろう。

 涙を飲んでスタート地点から去った自国の英雄に罵詈雑言を浴びせる、開会式の演出で世界を欺く、気に入らない国の選手にブーイングを浴びせる。どれも五輪の理念からかけ離れた行為ではないか。そうした行為は、決して政治体制の違いだけに原因があるのではなく、より根源的な文化、文明の問題なのではないかと思えてならない。

※写真は棄権する劉翔(共同)

西村幸祐(にしむら・こうゆう)

 作家・ジャーナリスト・戦略情報研究所客員研究員。
 1952年(昭27)東京生まれ。慶応義塾大文学部哲学科中退。在学中に第6次『三田文学』の編集を担当、80年代後半から主にスポーツをテーマに作家、ジャーナリストとしての活動を開始した。93年のW杯予選からサッカーの取材も開始。02年W杯日韓大会取材後は、拉致問題、歴史問題、メディア批評などスポーツ以外の分野にも活動を広げている。「撃論ムック」編集長、文芸オピニオン誌「表現者」編集委員。著書は『ホンダ・イン・ザ・レース』(93年・講談社)、『反日の構造』、『反日の超克』(PHP研究所)など多数。ホームページは900万PVを突破した。
http://nishimura-voice.seesaa.net/




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