女子レスリングの「虎の穴」おばあ引退
「おばあ」の五輪が、終わった。女子レスリングの聖地、新潟県十日町市の桜花道場で、15年にわたり代表選手らの食事を世話してきた林千代さん(80)が、北京を最後に調理担当を退く。17日、道場で伊調馨の金メダル、「本当の孫みたい」という浜口京子の銅メダルをしっかりと目に焼き付けた。「浜ちゃんの銅メダルも、私にとっては金と同じ。最高の形で、私も引退することができるよ」。完全燃焼のおばあに、涙はなかった。
北京五輪日本女子レスリング代表の、クライマックスゲーム。浜口の3位決定戦を、林さんは水色の手ぬぐいを手に握りしめて応援した。浜口に贈られた、ひょうたん柄の品。持病があり北京には行けなかったが、浜口の“分身”とともにテレビに向かい「がんばれ、がんばれ」と応援した。銅メダルが決まった瞬間、手ぬぐいをまるでメダルのように自分の首に回した。
林さんにとって、道場を訪れる多くの選手の中でも浜口は特別の存在だ。アマチュアレスリングを始めた15歳の時から見守り、今は家族ぐるみの付き合いだ。「おばあ」と慕う浜口を「浜ちゃんはかわいいよ」と、目を細める。「最初から強かったわけじゃない。苦しんであそこまで強くなれた。それを分かっているから、銅メダルだって私にとっては金と同じ。だから最高の気分」と喜んだ。
食事の世話をきっかけに深まった2人の交流。しかし、林さんは北京五輪を区切りに、自らの役目を終えることを決めている。
93年、本格的に道場で調理を始めた。代表選手だけでなく、大学レスリング部の合宿などもあり、調理場でほかのスタッフと数十人分の食事をこしらえる。2年前、右手首を骨折するまで1日朝夕2回の食事を担当。今でも朝食の下ごしらえを続ける。練習でくたくたになった選手の心身を休めてあげようと、家庭の味にこだわった。浜口が大好きなのはカレーライス。おふくろならぬ「おばあの味」だった。
手首を骨折したころにも引退を考えたが、浜口の慰留もあり続けてきた。しかし、今回はきっぱり退く。「若い人が継いでくれるから心配していない。私も年を取ったから」。集大成のつもりで見守った北京で、浜口はアテネに続く銅メダル。「最高の形で引退できるよ」。浜口には直接伝えていないが「でも、分かっているはず」と話す。
10月、浜口ら代表選手4人がメダルと一緒に道場に報告にやってくる。浜口はいつも林さんを見ると、汗をかいたままでも抱きついてくる。「何と言って迎えてあげたいですか」と問うと「言葉より先に、こうやってあげたい」。林さんはそう言って、ギュッと抱きしめるしぐさをした。【中山知子】
[2008年8月18日7時32分 紙面から]
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