勝利へ刻む4つのリズム
為末の腕はメトロノーム【陸上・為末大】
陸上男子400メートル障害の為末大(30=APF)は、メトロノームの要領で腕を振り分け、4度のギアチェンジを使って世界と勝負する。35メートルごとに並んだ10台のハードルを、減速を抑えながら跳び越えていく、戦略的要素が詰まった同種目。意識的に腕の振り幅を変化させ、5~8台目の走りを改善して世界と戦えるようになった。世界選手権で2度もメダルを獲得した「侍ハードラー」の武器に迫る。
減速抑える戦い
高さ91・4センチのハードルを鮮やかに跳び越えていく。ハードリングこそ、為末の武器と思われがちだが、実は違う。元日本記録保持者で、日本陸連の山崎一彦ハードル部長(37)は言う。「彼はハードル間の走りが世界一。ハードルとハードルの間、35メートルをうまく使えるから、跳ぶ時に足が詰まったりすることがないんです」。
踏み切る時に足が合わないと、減速してしまう。跳び越えたら、すぐに次のハードルが待ち受ける。これを10回繰り返しながら、400メートルを駆け抜ける。100メートルでさえ終盤の減速を避けられない陸上競技で、いかにエネルギーを無駄遣いせずにトラックを1周できるか。これが400メートル障害の攻略ポイントだ。
為末 誰でも思い切って走る時の歩幅がある。ハードラーの苦しいところは、自分の歩幅がハードル間にぴったり合うとは限らないところ。本気で走っても、ハードル間に合う歩幅に抑制できないといけない。それを体に染み付けるんです。
為末は、5台目までを13歩、6、7台目は14歩、以降は15歩で刻んでいく。意識が薄れるほど苦しい400メートルという距離の中で、踏み切る足や歩幅を変えつつ、減速を抑えなくてはならない。この難しい局面は腕で調整する。腕に従って足を反応させ、歩数と歩幅を自動的に調節する。
為末 腕でギアチェンジする感じです。腕は人間の体の中で、一番コントロールが利きますから。手首の位置がギアになります。
- 1 1~5台目(13歩)
- 腕を大きく振る。「腕は、ブランコを長くする感じ。(ひざのバネは)地面についてから『グウィーン』とコントロールする」。
- 2 6、7台目(14歩)
- 腕の動きを小さくする。「メトロノームのおもりの位置を、自分の近くにして速く振るイメージ。足は『グン』とバネをわざと硬くする感じ」。
- 3 8台目(15歩)
- ヒジもたたんで、もっとも腕の振りをコンパクトにする。足のリズムもテンポを上げるイメージ。
- 4 9台目以降
- 「前に進むスピードがなくなるので、また腕でこぐようになる」。メトロノームのおもりを先端に戻す感じだ。
5~8台目改善
為末 これは意図的に身につけました。49秒台から47秒台を出せるようになったのは、5~8台目の105メートルでタイムが1秒以上速くなったから。これは、自分を世界の20番から3番まで引き上げてくれた技術です。3~4コーナーは、走っている選手たちも直線ほどは差がついているかどうか分からない。だから、僕はそこで勝負をつける。最後の直線に勝負を持ち込ませると、頑張るやつが結構いるんですよ。
他に同調しない
巧みなギアチェンジで、5~8台目にリードを奪う。歩数が増えつつも減速を抑えるため、足の回転速度を速くする。日本陸連科学委員会の森丘保典氏(38)は「13歩から14歩に切り替える時、感覚的にはリズムを倍にするくらいのイメージじゃないとうまくいきません。極端に言えば『パーン、パーン、パーン、パーン』が『パパパパ』になるくらい」と解説する。この走りは、ほかの選手の動揺を誘う効果もある。
為末 ほかの選手から見れば、急にギアが変わるのは、すごい目障りな動きなんです。僕も失敗した経験がありますが、走っているとつい前の選手の動きに同調してしまう。すると、足が詰まったり(ハードルに)届かなくなったりする。人に振り回されてしまうんですね。陸上の中で唯一ですよ、こんな作戦が利く種目は。100メートルは自分のレースをするだけですから。
ギアチェンジは自分の走りをコントロールするとともに、ほかの選手をかき乱す。この動きは「1回できてしまうと、自転車を乗るみたいにできるようになってしまう」という。今季は故障で出遅れている。しかし、この精密な走りを取り戻せれば、世界と戦う武器になる。【佐々木一郎】
- 為末のスピード推移
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- ※表の見方
- 縦軸がスピード(1秒間に進む距離=秒速)、横軸がスタートからフィニッシュまでを示す。数値はタッチダウンタイムと呼ばれるもので、例えばH1~2は、1台目のハードルを跳び終えて着地してから2台目を越えて着地するまでの時間を表す。400メートル障害の場合、スタートから加速し、1~2台目で最高速度に達する。その後は、このエネルギーをいかに維持していくかが、勝負の分かれ目になる。
「風雨にも強い」日本陸連科学委員会の森丘保典氏
為末選手の場合、スピード曲線がすごくなだらかです。これは走りの効率がいいことを示しています。普通の選手は、これがデコボコになりがち。ある区間で著しく下がってしまうと、維持したり、それから上げるのは大変です。98年の神奈川国体の時と05年の世界選手権を比べればよく分かりますが、5台目以降のスピードの落ち込みが、改善されています。
為末選手の体にはかなりレベルの高い400メートル障害のリズムがすり込まれています。こういうストライドで刻めば、足が合うなという調節を、二、三流の選手は5歩前などでする。しかし、彼の場合は跳んですぐに調整できる。だからハードルの前であわてて速度がガクッと落ちることがない。風の向きが変わったり、雨が降ったりする状況でも、自分のベストに限りなく近いパフォーマンスが出せる。05年の世界選手権がそうでした。
単純にハードルのクリアランス時間だけならもっと速い選手もいます。やはりハードル間の走りが素晴らしい。特に5台目以降の改善は前日本記録保持者の山崎選手が取り組んできたこと。為末選手は国内合宿で相当、山崎選手を研究していました。先例がいたアドバンテージもありますね。
- 小中高恩師揃って「天性」
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- 小学生時代、広島ジュニアオリンピアクラブで指導した岡山恵美子さん
- 4年生の時、初めてハードルの練習をしました。その時から素晴らしいフォーム。持って生まれた能力があると感じました。
- 広島・五日市中時代の監督だった河野裕二さん
- 当時から探求心が強く、今もそれが続いています。中学では400メートル障害という種目はありませんが、当時から指導者の間では適正があると話していました。
- 広島・皆実高時代のコーチだった慶楽良隆さん
- 高校3年の春から400メートル障害の練習を始めて、広島国体でデビューしました。数は跳んでいません。天性の力に託しました。すると49秒台。私の生涯自己ベスト51秒5をいきなり破られました。
- 為末大(ためすえ・だい)
- 1978年(昭53)5月3日、広島市生まれ。五日市中-皆実高-法大を経て02年に大阪ガス入社。翌年秋からプロ選手になり、APF所属。01、05年の世界選手権で銅メダルを獲得した。170センチ、66キロ。



