魂のボランチだった佐々木監督の現役時代
2008年7月29日
まだJリーグができる前、JSL(日本サッカーリーグ)というアマチュアリーグが日本サッカーの頂点だった頃の話である。
当時もその下部組織として各地域リーグがあり、そのひとつである関東リーグは首都圏とあって強豪がひしめいていた。70年代末から80年代前半において勇名を馳せたのは、後に横浜フリューゲルスの母体となった全日空トライスターである。全日空がスポンサーの、その頃はまだ珍しかったクラブチームだ。元ヴェルディ監督の李国秀や、現五輪代表・李忠成の父である李鉄泰らがプレーしていた。そこに途中加入したのが、ブラジル人のカルバリオである。古くからのサッカーファンなら馴染み深い名前だろう。全日空入りする前はJSLの有力チーム・フジタ(湘南ベルマーレの前身)の中心選手だった。褐色の肌。カーリーヘアの野性的な風貌。パワフルかつ華麗なプレーでゴールを量産した。
関東リーグに、以前ほどの力はないにせよ元JFLチームのブラジル人エースが移籍してくるなど、ほとんど反則ものである。カルバリオは全日空入りするや情け容赦なく点を取りまくった。そしてこのカルバリオ、普通にやっても相手選手を翻弄できるテクニックを持っているくせに、プレーがやたら荒っぽかった。審判の死角で敵のマーカーにひじ打ちを食らわせたり、足を蹴ったり、ユニフォームの裾を引っ張って地面に叩きつけたりしていた。対戦チームにとっては文字通り、脅威の的である。
関東リーグでの全日空のライバルに、NTT関東(大宮アルディージャの前身)という実業団チームがあった。全日空と対戦する時、NTTの選手はカルバリオのマークにつくのを皆いやがった。痛い思いをするのが目に見えているからだ。「おまえやれよ」「やだよ、おまえが行けよ」センターバックでさえ押し付け合った。結局いつも最後にはボランチのある選手が「わかったよ、俺がやるよ」とマーク役を買って出て、カルバリオと激しくやりあうのだった。そのボランチの名前は、佐々木則夫といった。
そう。現在のなでしこジャパン監督である。
ボランチ出身だからというわけでもないだろうが、佐々木監督が就任して最初に着手したのは中盤の配置変更だった。それまでダイヤモンド型だったものを、フラットな横並びにしたのだ。これは左右に幅広く選手を配してスピードのある相手選手のサイドアタックを封じ込め、かつ中央の守りを固めるという意図によるものだったという。
とすれば通常、ボランチのどちらかには守備的な選手を置くのが普通だ。しかし佐々木監督は沢、阪口という攻撃的な二人を起用した。ここが佐々木ジャパンの肝なのである。ボランチの双方が攻撃の起点となり、スペースカバリングやボール奪取も行う。その役割分担は状況によって自在に変化する。相手としてはボランチのどちらもケアする必要があり、注意が分散される。そうなるとますますアタックの選択肢が広がる。
不安があるとすれば二人のディフェンス力だが、前回コラムで触れたように沢はもともと守備にも長けている。阪口もここへ来て、泥臭く相手を止めることを厭わなくなった。まだ完璧とはいえないものの、コンビの熟成は急ピッチで進んでいる。
気になるのは……二人の体力がどれだけ持つかという点だろうか。トップ下を置かないだけに、ボランチがどれだけフォワードの近くでプレーできるかがゴールへの生命線になる。逆に相手がボールを持ったときは急いで帰陣して、スペースを埋めなければならない。サイドアタックを仕掛けられた時は素早く寄せて、中盤アウトサイドの味方をフォローする役目もある。
前後左右への運動量が尋常ではないのだ。
試合を通してそれをまっとうできるか。さらに連戦の中でパフォーマンスを維持できるか。
真夏の中国という過酷な条件下だ。もちろん澤と阪口の二人だけでこのポジションをこなすわけにはいかないだろう。そのために加藤や原、宇津木といった選手が名を連ねているのだ。選手の体調や相手との相性を見ながら、アウトサイドの選手も含めてローテーションさせていくと思われる。
しかし佐々木なでしこが志向するサッカーを実現するためには、あくまで沢と阪口がボランチの第一候補。現役時代の佐々木監督のように、沢・阪口コンビが「私がやる」の心意気を持って少しでも長くピッチに立っていること。それがオリンピックでの勝利のための重要な条件の一つであることは間違いない。




