上野「世界一のエース」/ソフトボール

- 金メダルを決め、ナインに肩車された上野は人さし指を突き上げ喜びを爆発
<北京五輪・ソフトボール:日本3-1米国>◇21日◇決勝
日本の最速エースが「世界一のエース」になった! 上野由岐子(26=ルネサス高崎)が決勝の米国戦に先発。20日に2試合計21回318球を、この日は91球を投げ、五輪3連覇中の「ソフトボール王国」をソロ本塁打のみの1失点に封じ、日本を3―1の勝利に導いた。北京で投じた球数は681球。12年ロンドン五輪で正式競技から外れるソフトボールで、鉄腕が日本に“最後の金メダル”をもたらした。日本の球技では、1976年モントリオール五輪の女子バレーボール以来、32年ぶりの五輪制覇となった。
待ちに待った瞬間が、ついに訪れた。夢の金メダルをついにつかんだ。ナインの歓喜の輪の中心で押しつぶされながら「世界一」を示す人さし指を、何度も何度も天にかざした。「世界一の空間というか、マウンドで鳥肌が立った」。上野はかみしめるように振り返った。瞳はうるみ、ところどころ言葉に詰まった。
前日に318球を投げ、2日で3連投に挑んだ。疲れはあった。「今日はスピードよりキレで勝負した。ただ、五輪という大舞台。精神的に頭がパンクしそうになりながら投げた」という。限界ギリギリのマウンドだった。初回に2死満塁のピンチを招いたが、粘り強く切り抜け、流れに乗った。4回、バストスに準決勝に続いて本塁打を浴びたが、気持ちは切れなかった。球速が最速119キロに遠く及ばぬ中、女房役の峰捕手が「今日一番良くて、これを投げれば大丈夫だと思った」と話すシュートを中心とした組み立てで米国打線を抑えた。6回の1死満塁のピンチもシュートの連投で耐え抜いた。
斎藤監督は就任した06年12月から“五輪の米国との決勝戦”は先発・上野と決めていた。上野は1カ月前に「決勝はお前でいく」と告げられていた。この日、斎藤監督はチームドクターとトレーナーに最終確認を取り「いくぞ!」と短くゴーサイン。「はい」。即答で闘志に火を付けた。
恩師と仰ぐ所属先の宇津木妙子総監督から届いた「上野に任せた」という携帯メールも最後まで心の支えになった。冷房で体調を崩し本調子を発揮できなかった屈辱のアテネ五輪。銅メダルが決まった試合後、人込みから離れ、1人になると涙がこぼれた。控えの乾捕手に肩車されると、アテネ五輪の代表監督で「ソフト界の親」と言えるネット裏の宇津木総監督に人さし指を立ててアピール。「いろいろと支えてくれたから」。体全体で感謝の気持ちを伝えた。
ソフトボール界の未来を背負っていた。「子供たちはロンドン五輪で競技がなくなってしまい、かわいそう。私のプレーで夢や希望が与えられれば」。だからこそ「またソフトが(五輪に)帰ってくることを期待したい」と話した。北京の681球。上野の681球が、五輪で初めて米国の覇権を崩し、日本に金メダルを呼んだ。そんな“鉄腕伝説”が、五輪のソフトボール復活のきっかけになるかもしれない。【菅家大輔】
[2008年8月22日9時15分 紙面から]
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