このページの先頭




競泳

競泳メニュー
  1. トップ
  2. 写真ニュース
  3. 日程
  4. 結果
  5. コラム
  6. 日本代表名鑑
  7. 競技メモ

中村「銅」72年ぶり大会連続メダル/競泳

2大会連続の銅メダルを獲得した中村は、感慨深そうにメダルを見つめる
2大会連続の銅メダルを獲得した中村は、感慨深そうにメダルを見つめる

<北京五輪:競泳>◇16日◇女子200メートル背泳ぎ決勝

 中村礼子(26=東京SC)が、記録ずくめの銅メダルを獲得した。競泳女子200メートル背泳ぎ決勝で、前日の準決勝で出した日本記録を1秒08更新する2分7秒13をマーク。競泳日本女子として最年長メダリストとなった。アテネ五輪同種目に続く銅メダルで、2大会連続メダルも、200メートル平泳ぎで32年ロサンゼルス五輪2位、36年ベルリン五輪1位の前畑秀子以来72年ぶりの快挙。さらに00年シドニー五輪3位の中尾美樹を含め、競泳日本女子の同一種目3大会連続表彰台も初めてとなった。

 最後は目をつぶって泳いでいた。大型化する外国勢の中で166センチ、53キロときゃしゃな中村が、両手を目いっぱい回し続けた。150メートルを3位で通過すると、周囲にペースを乱されないよう、視界をさえぎった。前日の日本記録を1秒以上も短縮する2分7秒13。やはり銅メダルだった4年前に出した当時の日本記録より2秒75も速い。数年前まで20代前半がピークといわれた日本女子競泳界の常識を、26歳が覆した。

 「泣き虫礼子」は、すぐ目を真っ赤にした。今大会100メートルでは予選、準決勝と記録を落とし、決勝は6位。予選のタイムならメダルに届いただけに、平井コーチの励ましに感極まって泣いた。この日はメダルを胸に「4年間つらい時もあったけど、自分にとって最高の結果を出せた」と、また大粒の涙をこぼした。

 飛躍的に記録が伸びたこの種目で、日本人が3大会連続表彰台に立った。快挙の裏で次々と10代の新鋭が現れ、重圧が消える日はなかった。掲示板をずっと見つめ「かみしめていた。4年前よりも重い」。

 平井コーチの作戦を忠実に遂行した。150メートルまでは体力温存。最後は「足が動かなくなるぐらいまで泳いだ」と必死の泳ぎで、後続を振り切った。前畑以来72年ぶり、戦後初の2大会連続メダルにつながった。日本女子競泳界に新たな歴史をつくった。

 03年10月、「突然その日に思い付いた」と、今大会平泳ぎ2冠の北島を指導する平井コーチに弟子入りを志願した。洋服を買うのに3日も悩む中村が、世界で勝てない危機感から直観的に動いた。以来同コーチの指示を守り続ける。不安にかられやすい繊細な性格も、同コーチに選手招集所まで付き添ってもらい、ほおをなでてもらって送り出されると、自信をもってスタート台に立てた。日体大の卒論テーマはスポーツ心理学。験担ぎは徹底した。

 平井コーチに頼りっきりだった中村も、五輪直前には厳しい選択を迫られた。今年のアシックスの新作水着発表会では「広告塔」を務めたが、五輪本番では英スピード社の高速水着レーザー・レーサーを着用。情に流されず、勝つために自分自身で決断した。

 レースを見守った平井コーチから「アテネでやめていれば良かったとだけは思わせたくなかった」と言われると、「泣き虫礼子」は「4年間一生懸命やってきてよかった」と応じ、やっと笑った。【高田文太】

 [2008年8月17日8時28分 紙面から]


関連ニュース


ソーシャルブックマークへ投稿

  • Yahoo!ブックマークに登録
  • はてなブックマークに追加
  • Buzzurlにブックマーク
  • livedoorクリップに投稿

ソーシャルブックマークとは




このニュースには全0件の日記があります。




写真を拡大する
福田首相と北島
[2008年8月27日] 
写真を拡大する
旗手の北島康介
[2008年8月25日] 
写真を拡大する
Vサインのライス
[2008年8月23日] 
写真を拡大する
イルチェンコが優勝
[2008年8月20日] 
写真を拡大する
競技に臨むデュトイト
[2008年8月20日] 
写真を拡大する
プールに落とされ笑顔
[2008年8月18日] 



ここからフッターエリア


nikkansports.comに掲載の記事・写真・カット等の転載を禁じます。
すべての著作権は日刊スポーツ新聞社に帰属します。
(C)2009,Nikkan Sports News.